top of page

レクチャー公演
白拍子 歌舞(うたまい)の変

ご来場いただきありがとうございました。
またお会いできるのを楽しみにしております。

吾野表.jpg
vol30吾野宿市.jpg
new 告知動画を公開しました。
   https://youtu.be/YHtl64rbPC0
   解説記事を投稿しました。
   https://note.com/sakuraimaklko/n/nb4ab4ec81c55

白拍子の登場した背景、そして祇王(ぎおう)、千手前(せんじゅのまえ)、静(しずか)は、権力者に何を歌い舞ったのか?

実演を交えてお話しいたします。

白拍子とは

・どんな格好「装束(しょうぞく)」をしていたのでしょうか?

​・白拍子はなぜ生まれたのでしょうか?

・白拍子は何を歌い舞っていたのでしょうか?

■レクチャー公演「白拍子 歌舞(うたまい)の変遷」開催概要

主催:まきこの会

●共催:吾野宿.kiten

●後援:飯能市、吾野宿再生と吾野を語る会(COMステーション)

●講師:桜井真樹子(白拍子・声明)

●日時7月30日(日)15:00-17:00(受付14:30~)

●会場:吾野ゲストハウス&カフェレストラン

●場所:埼玉県飯能市坂石町分213

●アクセス:西武秩父線「吾野駅」徒歩10分

●料金:2,000円(事前予約制)

●ご予約・お問合せ:まきこの会事務局(makikoclub2022@gmail.com / 090-9236-0836)

※終演後、公演会場にて「吾野宿」についてのお話を吾野宿大河原家23代目当主の大河原義重さんにしていただきます。ご飲食可能、自由参加です。

※当日は吾野宿市も開催いたします。

レクチャー公演、吾野宿市、みなさまのご来場を心よりお待ちしております。

◉吾野について

平安時代、すでに武蔵野国国府が東京府中と現在の知々夫(秩父)に国府を置いた為に、秩父街道が山岳宗教関係者らにつかわれ、吾野も利用されたと思われます。

 

その後、鎌倉時代になると武蔵武士の活躍があり、この坂石の地も頼朝の御家人として

源平合戦一ノ谷の戦いで平氏の大将、平忠度(たいらのただのり)の首をとり「忠澄の勇」として讃えられた岡部六弥太忠澄(おかべろくやたただずみ)の領地となりました。

 

さらに江戸時代、徳川幕府編纂の「新編武蔵風土記稿」によると、元禄13年(西暦1700年)

坂石村から分郷して、民家29戸秩父街道に沿って生活し、馬継ぎの宿場なれば町分と称するとあります。秩父街道の中心は大宮郷であり、江戸に向かう場合は起点でもありました。秩父観音参り、秩父三山(秩父神社、宝登山神社、三峯神社)参りの道として、また、秩父絹商取引の道として利用されました。

 

さらに、この道に沿う高麗川によって吾野の材木は「西川材」として江戸へ運ばれました。

栄えたときは商店も多く、正月には三河万歳、座敷万歳、角兵衛獅子、瞽女(ごぜ ※目の不自由な女の人)三味線唄、ヨカヨカ飴売り夫婦が来ました。今、ほとんどの家は、一度も途絶えることなく、人々は先祖伝来の土地に住み続けています。

※吾野宿再生と吾野を語る会(COMステーション)ホームページより

bottom of page